2012年1月 7日
正月に遊びに来た人が言う。
「西村さんちは、本当にお正月っていう感じがしますね」
その理由は、玄関にある。
私はマンションに住んでいるので、
当然、玄関は片開きのドア。
そのドアの両サイドに根引きの松を据える。
根引きの松は、
根元近くを半紙で巻き、
その上に紅白の水引きをかける。
根引きの松とは、
根っこから引き抜いた松で、
力強さを感じる。
さらに注連縄を買ってきたまんまの状態で据える。
普通は広げて飾るが、
ドアの前で広げれば、開閉が出来ないので、
仕方なくこういう形となる。
例年、根引きの松は花屋さんで買ってきて、
自分で半紙を巻き、紅白の水引きをかけるが、
水引きがない時は、
取っておいた紐の中から、赤と白を選び出して
結ぶだけ。
今年は、京都のあるお店からDMがきた。
小さな根引きの松がセットで2000円。
松にも、雄松と雌松があって、
これを合わせると書いてある。
よし、今年はこれにしようと買うことにした。
近くの注連縄を売る露店で、
注連縄と、裏白5枚と、譲葉の枝を買う。
お鏡は、
半紙を半分垂らして、
裏白を敷き、
その上に小さなお鏡を乗せ、
一番上に小さな蜜柑を供える。
お鏡は2段重ねだが、
お餅とお餅の間に譲葉を2枚、
八の字の形に挟むのが、家の流儀。
以前、平屋に住んでいた時は、
各部屋にお鏡を飾り、
裏白を部屋の前の柱に飾ったものだが、
マンションに移ってからは、
お鏡一つになった。
それでも、これだけのことをするだけで、
今年も新しい年を迎える心積もりが出来る。
今年も頑張るぞ〜。
2011年12月24日
昴では、もう長いこと、
春のスクーリング
夏のスクーリング
冬のスクーリング
という名称を使っている。
先日、ある方から、
冬期講座ではないんですね。
と言われた。
どういう意味でおっしゃったのか分からないが、
自分たちとしては、慣れ親しんだ言葉なので
【冬のスクーリング】
そして
【冬スク】
という言い方が、しっくりくる。
今年は東日本大震災があり、
1年があっという間に過ぎたように思う。
世界的にも、
これまでの10年分くらいの出来事が
この1年間に起こった感がある。
景気もそれに連動しているように思われるが、
この冬のスクーリングは、
お蔭さまで、
昨年以上に多くの生徒・保護者に支持され、
沢山の子どもたちと勉強できる幸せを感じている。
2011年12月 5日
ワールドカップバレーボール2011年11月25日
男子鹿児島大会が
鹿児島アリーナで行われた。
世界の一流選手の試合を直接見る機会なんて、
そう滅多にあるものではない。
早速、近くのコンビニのお兄さんに、
チケットの購入をお願いした。
今時は、
チケットがコンビにで買えることにも驚いた。
尤も、こんなことにビックリしているようなら、
化石と言われかねない。
鹿児島アリーナのS席とA席は、
既に完売していたので、
B席を3000円で購入。
いよいよ当日。
S席はナント空席が目立つ。
スポンサーに無料配布したのだろうか?
来ないのなら、販売すればいいのに、なんて
つまらないことを思っているうちに、
始まった。
バレーボールにも始球式があるとは、
初めて知った。
他の競技でもあるのだろうか?
第1試合:中国VSアメリカ
力の差があるのか、ラリーが続かない。
ワールドカップといえども
いろいろな力があるのだと
思い知った。
試合はアメリカのストレート勝ち。
第2試合:イタリアVSロシア
とにかく男子選手が大きい。
2メートルを越す選手は珍しくなく、
一番背が高い選手で218センチメートル。
私立高校のバレー部の選手が、
ボールを拾ったり、コートの掃除をしたりと、
大勢手伝いに来ていた。
世界の一流選手のプレーを間近に見ることが出来、
嬉しいだろうなと思う。
彼らだって、
普通の高校生より背が高いと思うのだが、
正直なところ、これでバレー部?
と思うほど小さく見える。
尤も、私が並んで立ったとすれば、
臍くらいなのかも。
広い背中。
厚い胸板。
腕はやはり大きい。
サーブは、受けた選手が吹っ飛ぶくらいの威力。
スパイクが床をたたくと、
会場内から「ウォー」というドヨメキ。
音楽でもそうだが、
スポーツの、こういう迫力あるプレーは、
やはり、
直接観てみないと分からない。
たまたまB席の最前列の端っこに座った。
2階席の一番下に当たる。
すぐ横では、
大きなクレーンカメラが上がったり、下がったり、
一番上に乗っているカメラは、
あっち向いたり、こっち向いたり。
大の大人が2人がかりで操作している。
2箇所に写したものを見るモニターがついている。
聞くと、このカメラも東京から分解して持ってきたが、
東京には、もっと大きなクレーンカメラがあるとのこと。
「今、このカメラで撮った映像が、
世界中に生中継されているんですよ」
仲良くなったカメラのお兄さんが教えてくれた。
「自分の写したものが、世界中に放送されていると思えば、
楽しいでしょうね」
「そうですね。好きですね」
その後、
ワールドカップバレーボールをテレビで見る機会があったが、
ああ、この映像はあのカメラで撮ったものだ。
これは、審判の傍にいたカメラだ。
試合の勝敗そっちのけで、
カメラ目線で楽しんだ。
2011年11月17日
歌のレッスンの日、
出来立てのギンナンを少し持っていく。
まあ、ギンナン!
と大喜びの姿を見て、
指先の皮が1枚めくれた苦労が報われた気がした。
そして、
教えていただいた。
ギンナンの簡単皮むきの方法。
それは、
使い古しの紙の封筒に入れて、
チンするだけ。
エッ、そんなに簡単でいいの?
それが、本当に、それだけでよかったのです。
レンジでチンする間、
封筒に入れたギンナンの数だけ、
バン バン とすごい音。
熱々のギンナンは、
バンの音とともに割れて、
薄皮も綺麗にとれる。
おまけに味が凝縮したような感じで、
茹でるよりも美味しいようだ。
簡単で、
尚且つ美味しくて、
当分、止められそうにない。
2011年11月11日
ギンナンが好きだ。
茶碗蒸しにギンナンが入っていないときは、
本当にがっかりする。
今年は、ギンナンが豊作だ。
いつも通る道に落ちているギンナンの量が、
例年とは桁違いに多い。
昨年も少し拾って、土に埋めておいたが、
いつまで経っても果肉部分がとれずに、
春になってから捨ててしまった。
週に1回、ヨガに通う道は、
街路樹が銀杏で、歩道も広い。
普通の歩道の3倍くらいはある。
先日、ギンナンを拾っている方をみつけたので、
自転車を降りて、ギンナンの取り出し方を問うた。
「水道んところで揉めば、一気じゃんさお」という返事。
次の週、ビニール袋を2枚用意して、
ヨガの帰り道、
右手にビニール袋をはめて、
拾えるだけ拾った。
休みの日、いよいよギンナンとご対面。
家の中ですれば、
この強烈な匂いが部屋中にこもるかもしれないと思い、
ベランダで作業開始。
ゴツゴツとした突起がいっぱいついているゴムのような手袋をして、
ただ、只管もむ。
腰が痛くなる。
でも、途中で止められない。
なんとか、全部、揉み終えた。
その後、水洗い。
ブカブカの手袋では、仕事が捗らない。
それで、直に手で触った。
あの鼻を突くような匂いは、
手に良くないのではないかと思ったが、
まあ、イイか、
と作業を続けた。
夜、お風呂に入ったとき、
そんなに長く入らなかったのに、
指先が皺皺。
それも、並みのシワシワではない。
皺の深さが半端ではない。
これは一大事と
顔用の栄養クリームをタップリとつけた。
30分もすると、元通り。
ヤッター(^0^)/
・
・
・
2~3日した頃、
指先がボロボロになった。
結局、1週間くらいで、
指先の皮が1枚むけて、
一件落着。
そんな苦労をしても尚、
ギンナンへの思いは変らない。
ギンナンを揉む時、
洗濯板があれば、
もっと効率よく果肉が取れそうな気がする。
街に1箇所、昔ながらの金物屋さんがあったなあ。
あそこなら、洗濯板があるかもしれない。
来年は、もっと楽に、指も綺麗に、
ギンナンを確保するぞ〜
2011年9月26日
株式会社 昴が、
『南日本ジュニア美術展』の特別協賛を始めてから、
今年で、4回目となる。
このような形で、
子どもたちの感性を育むことに携われることは
有り難いことだと思う。
今年の総出品数は 4312点 (平面、立体を合わせて)
作品を出品したのは 302園、学校、団体
【平面】
保育園・幼稚園 79園 1220点
小学校 118校 2236点
中学校 44校 464点
高校 24校 191点
【立体】
小学校 28校 171点
中学校 4校 24点
高校 5校 6点
鹿児島県内の保育園、幼稚園から高校までを網羅して、
これほどの規模で絵画や立体が集まるのは、
全国でも珍しいとのこと。
子どもたちが夏休みの間に心を込めた作品を、
鹿児島を代表する方々の手によって、
まる1日がかりで審査される。
審査の先生方には、
本当にお疲れになったと思う。
仕事の都合で審査会場を途中で退席するのは、
とても残念だ。
それほど、審査会場には、
緊張感と作品を見る楽しさがある。
今年は、
保育園・幼稚園に殆どの時間を割き、
最後に高校を少し覗いた。
保育園・幼稚園は、
先生の指導が如実に表われているケースも見られたが、
殆どは、子どもたちが、
思うがままにクレパスや絵の具を紙に置いており、
見ていて楽しかった。
大きい紙に、
筆さばきも軽やかに、
クレパスや絵の具が踊っている。
楽しい(^0^)/ と思う気持ちを表現している作品は、
ドーンとこちらにその思いが伝わってくる。
入賞作品は
鹿児島市立美術館で、10日間、
その後、吉井 淳二美術館でも公開されることになった。
会期中に、南日本新聞社で、表彰式が行われた。
小さい子どもたちが、
最後まで静かにお利口さんにしていたのは
立派だった。
2011年9月 6日
台風の影響で、
雨と風が少し強い日があった。
その所為か、
路上に、ギンナンが多数落ちている。
たくさん落ちている木を見上げると、
枝の真ん中あたりに
ギンナンが、ぎっしりとこんもりと、
かたまってついている。
ああ、こんなのを「鈴生り」というのかなぁ
広辞苑で すずなり を引いてみると、
「鈴生り」
果実などが神楽鈴のように、多くむらがって
房をなすこと。ふさなり。
「弥次馬がーになる」
すると、葡萄も鈴生りというのだろうか?
でも、ギンナンの方が「鈴生り」にふさわしいような気がする。
それに、ギンナンもやはり、
「銀杏」のほうが似合うと思う。
ふと見ると、
銀杏を袋一杯に拾っている人がいる。
台風で落ちた銀杏だから、
もしかしたら拾うのは、今落ちたものより、
もう少し後の方がいいかもしれないなあと思いつつ、
でも、落ちた銀杏を拾うその家庭の温かさを思い、
こちらまで嬉しくなった。
2011年9月 1日
受験ラサールでは、
子どもたちの感性を育むための一環として、
毎年、田植えから刈り取り、おにぎり作りまでを
行っている。
田植えといっても、
畳1畳よりちょっと大きいくらいの小さな田んぼだが、
それでも、子どもたちは初めての泥に足を踏み入れ、
それぞれの表情を表す。
受験ラサール加治屋は鹿児島市のど真ん中。
すぐ近くには、江戸から明治維新にかけて活躍した
志士たちの生家跡地がひしめいている。
そんな街の真ん中で行われる田んぼとあって、
田植えには、
地元のマスコミも来てくださる。
その田植えの苗代が余っていたので、
本社の屋上で2鉢、育てていた。
先日、
2日続きの休みが明けての朝。
しまった〜
水不足で、カラカラにすすけている。
鮮やかな緑色は失せて、薄く枯れかかっているのがわかる。
それでも、諦めきれず、
なんとか持ち直してくれないかと
毎日水遣りをしていた。
昨日のことだ。
多くが藁に近い状態のすすけた色の中に、
幾筋かの緑色の葉があるのだが、
その中に、
なにやら普段と違う形が見える。
よ〜く見てみると、
ナント!稲穂ではないか。
凄い生命力。
今日、見てみると、
昨日より、大きくなっている。
長さにして6〜8センチくらいの小さな稲穂だ。
枯れそうになりながらも、
なおかつ、
子孫を残そうとする稲穂の姿に
しばし、見入っていた。
そういえば、
劣悪な環境に育つトマトは、
とても美味しいそうだ。
子どもたちとて、
同じではなかろうか。
豊かになりすぎた日本の子どもたちが、
成長途上国の子どもたちに負けないように育てなくてはと
強く思う。
2011年8月25日
この前、ブログを開いてから、
いつの間にか、2ヶ月も経っている。
時間の経つのは、本当に早いものだ。
みちこ先生のしつけ教室 その4
食事は礼儀作法の根幹をなしている。
感謝する心、思いやりの心、
敬いの心、生きる喜び
このようなこと全てを
食事から学ぶことができる。
現在、食事が蔑ろにされ、
全員がバラバラに食事をしたり、
仮に一緒に食べていても、
各自が自分の好きなものを食べたり、
自分の分だけを
自分の部屋に持っていって食べる家庭もあるようだ。
子どもたちが昴に通う家庭では、
夕飯が、
それこそバラバラだと思われる。
だから、一日に1回は、
家族全員で食事をするよう努力して欲しい。
一番確率が高いのは朝食だろう。
子どもたちが朝ごはんを食べている時間に、
まだ昨日の疲れを癒すかのように
ベッドの中いるお父さんも
多いのかもしれない。
ここを、
我慢して起きて、
一緒に朝ごはんを食べてほしい。
その後、もう一眠りというのは無理だろうか?
また、休みの日は、
朝も夜も一緒にお願いしたい。
そして、家族全員が、
同じご飯を食べて欲しい。
冷蔵庫を開ければ、
他に食べるものは、
いっぱい入っているだろう。
でも、嫌いなものがあるからといって、
子どもたちに別のものを食べさせないでほしい。
世の中に出れば、
自分の思い通りにならないことは
山ほどある。
それでも生きるために、
壁は乗り越えなければならないのだ。
毎日の食事で、
そのことを、
子どもたちの体に叩き込んで欲しい。
毎日毎日、連綿と続くからこそ、
体で覚えることができるのだと思う。
2011年6月20日
「しつけ」と言うと、
「こうしなさい」とか、「こうしてはいけない」と
口やかましく指導すること
と思われがちだが、
そうではないと思う。
しつけとは、
親が、身をもって
礼儀作法を教え、
人生の道筋をつけてあげることだと思う。
「子どもは親の背を見て育つ」とか、
「子どもは、耳に習うより目に教わる」
という言葉がある。
親が自分自身の心や振る舞いを磨いているその姿を
子どもに見せることで、
子どもたちは身につけていくのだと思う。
私は、申し訳ないことだが、
母をあまり好きではなかった。
好きでないという言葉は、
適切ではないかもしれない。
あまりにも、父の存在が大きすぎたせいだと思う。
しかし、母がしていたのと
同じことをしている自分に気付くことが多い。
私は、
雨の日や、
私が留守のために、
何回も配達していただいたときなど、
宅配便の配達があると、
「お腹がすいた時に」と言って、
身近にあるお菓子や果物を差し上げることがある。
そんな時、みんな、
凄く喜んで、もらえる。
これは私が考えてしていることではなくて、
母がしていたのと同じことをしているだけだ。
当時、家計を助けるために、
新聞の配達をするのは、子どもたちだった。
そんな子どもたちに、
母は、門のところで待っていて、
お菓子などをあげていた。
言葉ではない。
後姿なのだと、
つくづく思う。